私の絵の愉しみ方

2015.05.12発行 Vol.246
 私の好きな時間は、美術館で絵を観ることです。皆さんの中にも絵を観るのが好きという方はたくさんいらっしゃると思いますが、私もその一人です。美術館で絵を愉しんだ後は、たいていは図録を買い、また、それを観て愉しむということを行っています。一昨日の日曜日も原稿やゲラチェックの締め切りが重なり、結構長い時間物書きをしていましたが、その合間に、連休中に訪れた箱根仙石原のポーラ美術館の図録などを見ながら息抜きをして、物書きを続けていました。

 私は、絵を観るのは、もちろん「美しい、素晴らしい」という感覚を得たいということはありますが、それにプラスして、作家のバックグラウンドや時代背景と照らし合わせながら絵を観るのが好きなのです。そして、そういう作家のバックグラウンドを知って絵を観ると、また少し違った見方もできるのです。

 例えば、ルノワールの絵を好きな方は多いでしょうが、ルノワールは、晩年リューマチに悩まされました。そうした中、彼は絵筆をとることに執念を燃やし、筆を手にくくりつけてまで絵を描き続けたと言います。さらに、ルノワールは同じく晩年に、地中海の明るい陽光を求めて地中海岸に引っ越しましたが、彼の明るい絵には、そのような彼の置かれた状況が表れているのではないかと思います。また、若い頃にルノワールはイタリアを旅しましたが、その前後で画風が変わりました。ロンドンのナショナルギャラリーには、イタリア旅行前後で書かれた一枚の絵がありますが、良く見ると左右でタッチが違っているのが分かります。何か心境の変化があったのでしょう。

 先日、訪れたポーラ美術館では、「セザンヌ展」が催されていましたが、セザンヌは初期の頃には印象派に属しており、第3回の印象派展までは出品していましたが、それ以降は印象派から離れ、独自の画風にこだわりを見せます。彼の人嫌いという性格がそうさせたのかもしれませんが、そのあたりのことが、絵を観ていると時代とともに変わるタッチの違いからも読み取れます。また、私は同じく印象派の画家のピサロが好きですが、ピサロは印象派の人たちから兄貴分のように慕われた優しい人だったようです。その優しさが、画風にも表れ、とくにスーラを模した点描で描かれた彼の絵には、その優しさがにじみ出ているような気がします。

 ピカソの名を知らない人はいないと思いますが、彼の絵も時代とともに大きく変わっていきます。ポーラ美術館にある「海辺の母子像」の頃のいわゆる「青の時代」と「キュービズム」の頃や晩年の画風はとても大きく変わっています。先年、マドリッドで有名な「ゲルニカ」を観ましたが、若い頃の画風からは全く想像もつかない変化です。ピカソ自身の置かれている状況や戦争などが彼の心の状況を変え、画風に影響を及ぼしたのだと思います。

 私ももう20年以上物書きをしています。私の場合はビジネス書が中心ですから、自分の経験や生きているバックグランドが単純にそのまま文章に表れるというものでもありません。ただ、それでも、知識や理解の深まりは文章に出ます。また、生き方などの本も書いていますから、そちらには、ストレートに自分の人生観や価値観が表れるものです。そうした際に、自分の考え方の変化や深化が、文章にも表れるのです。

 最近では「お客さま第一」ということに関して、単に「お客さまに喜んでいただく」というだけでなく、それを通じて「社会にいかに貢献するか」とうことや「働く人が同時に幸せになっているか」ということが主題になっていると自分では感じています。さらには、その「お客さまに喜んでいただく」ということをいかに商品やサービスに具体化していくかということにもとても重点を置くようになっていると自分では感じています。

 いずれにしても、絵と文章の違いはありますが、その「アウトプット」には作者の生き方やバックグラウンドを知ることなしには分からないことが多くあると思います。そういうものを私は絵を観るときに考えることが好きなのです。皆さんもいろんな絵の愉しみ方をされていると思いますが、また機会があれば、それらをお教えいただければと思います。