東日本大震災から3年

2014.03.11発行 Vol.218
 東日本大震災から今日でちょうど3年が経ちました。あの未曾有の大災害の日、私は東京の事務所にいて、大きな揺れを経験しましたが、そのとき東北地方ではその何倍もの揺れとその後の津波が襲ったのです。約1万8千人の方が犠牲になられました。そして、それに続く東京電力福島第一原発の爆発事故。今、思い出すだけでも、私の心は動揺します。原発事故に関しては13万人の方たちが今も避難生活をされているとのことです。

 私はその年の暮れ近くに、頼まれて南相馬へ講演に行きました。そして、津波被害と原発被害の実際を目の当たりにしました。

 震災直後から、そして現地を見て、色々なことを考えました。言われ尽くしたことですが人間は自然には勝てないということです。もちろん、自然災害に備えるべく、堤防を作ったり、家を強固なものにするといった努力はなされてきました。しかし、現在の文明をもってしても、自然には全くなすすべもなかったのです。自然に対して、もっと謙虚にいれば、つまり、災害が起こるべきことを想定して、普段からさらに準備をしていれば、助かった命も少なくなかったと思います。どんなに文明が発達しても、人間には勝てないものがあるということを忘れてはならないのです。

 さらには、原発への不信感が芽生えました。私は、あの震災までは原発はクリーンな電力供給源で、資源の乏しい日本には適したものだと考えていました。安全性も十分に確保されていると思っていました。そういうふうに政府や電力会社は説明していたからです。しかし、実際はウソだったのです。とくに、その後の東京電力の対応のひどさと言ったら、後世の危機対応の教科書に出てくるほどのものでしょう。もちろん、反面教師としてです。いまだに福島第一原発の危機は終わっておらず、一部の原発ではリスクを抱えているのも事実です。また、核廃棄物の問題も解決のめどはありません。

 私は、イデオロギー的に原発即停止を唱えているのではありません。震災直後から、電力不足を考えれば、現実的には安全性の高い原発を数基、数年間稼働させながらその後は、安全性の観点から再生可能エネルギーなどへの転換をし、原発を廃止するべきと主張してきました。しかし、現実には、もう3年が過ぎてしまったのに、何も結論が出ないばかりか、なし崩し的に原発再稼働の議論がなされています。のど元過ぎればということでしょうか。

 もうひとつ、私が大震災を機に思ったことは、人は必ずどこかで死ぬということです。厳しいことですが、これが現実です。震災であろうが、事故であろうが、病気であろうが、すべての人は必ず死にます。だからと言って、好き勝手に生きてもいいということではなく、だからこそ、一日、一日を大切に生きるということだと思うのです。松下幸之助さんは、「死ぬことよりも、死の準備がないことを恐れたほうがいい」とおっしゃっていますが、死の準備とは毎日を一生懸命に大切に生きることです。限りある命をそれぞれが大切に生きるということです。それが、震災で不慮の死を遂げた方たちへの最大の供養でもあるはずです。震災を機に、もっと死に対して、そして生に対して真剣に考えるべきだとつくづく思うようになりました。