働く人の幸せと労働時間

2014.08.12発行 Vol.228
 ゼンショーの労働環境の悪さが大きな問題となっています。従業員さんに月100時間を超えるような残業をさせているなど過酷な実態が明らかになりました。今回のメルマガでは、経営者は労働時間と働く人の幸せをどう考えるべきかについて私の考えをお話したいと思います。   
 
 私の人生の師匠の故藤本幸邦老師は、「経済も政治も人を幸せにする道具」というふうにおっしゃっていました。会社も、もちろん経済の一部ですから、人を幸せにする手段でしかありません。この場合の人とは、お客さま、働く人、仕入先さんや地域社会などです。ですから、働く人を幸せにするということは、会社の存在意義の大きな部分であるわけです。

 一方、「会社」という字は、「社会」という字の反対ですが、その会社と社会との関係について、ピーター・ドラッカーは興味深いことを述べています。藤本老師の考え方とも共通しますが、まず、社会は人のために存在する、つまり、人の幸福のために社会があるということです。そして、農耕が主力だった時代は、人と社会との大きな接点は、家や地域だったが、現在では多くの人にとっての社会との最大の接点は、その職場なのです。そしてその職場が、人を幸せにしないのは自己矛盾だとドラッカーは述べています。

 いずれにしても、会社が人を幸せにするということは、社会の理そのものだと私は考えています。ですから、過酷な労働条件の下で人を働かせること自体、社会の中における企業、経済の中における企業のあり方として自己矛盾であり、断固排除されるべきことだと私は考えるのです。

 もちろん、楽な仕事が良いと言っているのではありません。楽でない仕事を楽しくやることが大切ですが、それと、過酷な労働条件とは別のものです。能力を高めた人が、法律で定められた時間の中で、精一杯の実力を出すということが、本来の仕事のあり方なのです。そういう状態が、働く人にとっても仕事以外にも充実した時間を持て、かつ、企業の側からも、能力不足に起因するムダな残業代を支払わなくても良いという、お互いにとっての理想の状況だと言えます。

 私は10人の小さな会社の経営者ですが、私は、私自身も含めて残業を好みません。従業員にはできるだけ定時に帰って欲しいと考えています。しかし、帰る際に、①「今日一日、精一杯働いたか」、②「今日、0.01歩でも自分の目標に向かって進歩したか」を反省してから帰って欲しいと従業員にときどき話をします。精一杯働いて、それにより会社に貢献し、なおかつ自分の実力を上げる、そして、定時に帰る。会社から見ても、十分な成果を出してくれる上に、ムダな残業代を支払わなくて済む。こういう会社や社員が理想だと私は考えているわけです。

 時間の長さで仕事をこなそうとする人は必ず限界がきます。だれにも1日は24時間しか与えられていないからです。一方、「工夫」で勝負する人には限界がありません。これは個人にも言えることですが、会社としても工夫をして、働く人に、働くことによる充実感とともに時間的にも幸せを感じてもらえる経営をしたいものです。