一期一会と真剣勝負

2012.03.13発行 Vol.170
 先日、当社で主催している経営研究会の会合が終わった後、最終回だったこともあり麹町駅近くの寿司屋さんで打ち上げも兼ねた懇親会をやりました。予約したうえで、お客さま6名と当社のスタッフが私も含めて3人の合計9名で寿司屋さんに行きました。

 料理の味はまずまずだったのですが、最後にお寿司が出て大変失望しました。握りの数が、ネタごとに9名分ないのです。あるネタは4個、あるネタは3個といった具合に、たくさんの種類の握りが出てきたのです。巻物も同じような状況でした。

 これでは、お客さまは遠慮して手を出せません。おそらく、小さな店だったのでネタが足りなくなったのでしょう。残ったネタでとりあえず数だけ作って私たちに出したのだと私は思いました。

 私がかなり頭にきていると、店の人から「いろんなものを食べていただきたいと思いまして」という、言い訳としか聞こえないような「説明」がありました。いろんなものを食べさせたいなら、それを人数分出せば良いわけなので、私はさらに頭にきて、「二流の店には二流の客しか来ない」という話をして、店を出ました。

 たかだか寿司の個数の話ですから、ここまで頭にくる必要はないのかもしれませんが、私は許せませんでした。

 その日の昼に、別のお客さまと評判の高い久兵衛でお寿司をいただいていたこともあったのかもしれませんが、私が許せなかったのは、麹町駅を上がってすぐのこの店が、「適当に」私たちをあしらったことなのです。人には間違いというものがあります。ですからネタ切れは仕方のない場合もあると思います。しかし、それでも下手な言い訳はするべきではありません。そして、何よりも、この店はプロとしての真剣さが足りなかったのです。

 「一期一会」という言葉があります。一回限りの人との出会いを大切にしようというものです。これからも続くと思っていても、ひょっとしたらこれが最後かもしれません。私は毎日のように講演や研修をしていますが、ひょっとしたら今回が最後かもしれません。私たちにとって、あのお寿司屋さんで食べた食事がひょっとしたら最後の食事となった可能性もありますし、あの寿司職人さんにとってもひょっとしたら一生の最後に握る寿司になった可能性もあるのです。人生何が起こるかわかりません。

 これが最後だと思ったら、あのような「適当な」ことはできるでしょうか。二流で終わる人というのは、何事にも真剣さが足りないのです。そしてあの程度のあしらいでも満足する人は一生二流で終わるのです。ですから「二流の店には二流の客しかいない」のです。お互いに真剣に向き合い切磋琢磨する中に、真の向上というものがあるのです。適当な、なあなあの付き合いでは向上はないのです。

 余談ですが、その麹町の寿司屋さんには、元首相と辣腕で有名な某党の元幹事長が来て食事をしたそうです。この店は彼らも私たちのように適当にあしらったのでしょうか。いずれにしても政治家は三流でしょうからどちらでも良い話ですが、震災からちょうど一年たった今、再度、私も含めて、真剣に生きることを考えるべきだというふうに思います。