あたり前と有難い

2014.12.09発行 Vol.236
 今年も残すところ3週間ほどとなりました。あっという間に1年が過ぎていく感じです。今年もいろんなことがありましたが、今あることを「あたり前」だと思うと、大きな間違いだというふうに普段から思っています。

 健康、人間関係、仕事、会社、お客さま、・・・。すべて、今、目の前にあるものですが、それを当然と考えていると、大きなしっぺ返しを食らうような気がします。すべてに対して、あたり前と考えずに、感謝の気持ちを持つことで、ようやくそれらを大切にしようと思うようになるのではないでしょうか。

 私は、文章を書くときには「有難い」と漢字を使うようにしています。それは「有ることが難しい」という意味を伝えるためです。どんなことでも本来、有ることが難しいのです。それを「あたり前」と思っていると、有難さや感謝の気持ちというものを無くしてしまうことが怖いのです。

 先日、テレビのニュースを観ていたら、香港の政府庁舎前で座り込みをしている若者が日本の選挙の状況を知って憤っていました。日本では、今回の選挙は関心も薄く、投票率が心配されています。とくに若い人たちの投票率は近年とても低く、今回もその傾向が続きそうです。香港では、ここ2カ月ほどの間、行政長官の候補者を中国政府が認めた人しか立候補できないことなどに対し、選挙の民主化を求めて、学生など若い人たちが座り込みをしています。市民から反発が出る中でも座り込みを続けています。彼らは、公正な選挙や民主主義を失うことをとても恐れているのです。そのインタビューに応じた若者は、「自分たちは命をかけて民主主義を守ろうとしているのに、日本の若者は選挙にさえ行かない」と語っていました。日本の自由で公正な選挙をとてもうらやましがりながら、私たち日本人はそれを当然と思い、無関心なことに憤っていたのです。民主主義を失いつつある香港の若者たちから見ると、とても「贅沢な」状況に見えたのでしょう。

 日本では、平和や自由というものが「あたり前」に存在しています。それらがあることを当然と思い、空気のような存在です。しかし、この平和や安全は、過酷な歴史と多くの尊い犠牲の上に得られたものです。私はカンボジアPKOや政権崩壊後のルーマニアの状況を現地で経験しています。平和や自由、民主主義というものを維持するには、多大な犠牲や努力が必要で、あたり前ではないということを私たちは認識していなければなりません。

 現状を「あたり前」と考えるのではなく、どうすればこの状況を維持、改善できるのかということを真剣に考え、「有難い」という気持ちで多くのことに対処したいものです。そうしなければ大きなしっぺ返しがあるかもしれませんね。