『絶歌』と「書く」ということ

2015.06.23発行 Vol.249
 皆さんもご存知だと思いますが、18年前に世間を震撼させた当時中学生だった神戸の連続小児殺人事件の犯人(「少年A」)が、『絶歌』という本を出版しました。コメンテーターとして月に2度ほど出演している大阪・毎日放送のニュース番組「VOICE」に先々週出演したところ、たまたまその日がちょうどその本の出版日だったこともあり、結構大きく報道されました。私は、その本を読むつもりはなかったのですが、出演前に、その本を少し読んでほしいとのことだったので10分足らず読んだのですが、文章はとてもしっかりしていたものでした。

 事件当時からその事件を取材していた毎日放送の記者の話によると、少年Aから被害者のご両親にあてた手紙なども、とてもしっかりした文章だったと言います。本は本人が書いたものか、あるいはライターが書いたものかは私には分かりませんが、本の内容そのものよりも、問題となっているのは、そのような本を出版することの是非についてです。

 テレビでも話したのですが、多くの方がお考えなのと同じように、私は二人の被害者のご両親などの心情を鑑みれば、出版はするべきでなかったと思います。被害者のご遺族が受けた心の傷は、事件当時は言葉では言い表せないほどのものだったでしょうが、それを再び蒸し返す、それも犯人そのものがそれを行うなど、常識的にはあってはいけないことでしょう。

 その本の最後の部分に、ご両親への謝罪文が載っており、こうして本を出す以外に自分の存在を認めてもらう手段がなかった旨の記述がありましたが、本当に謝罪の気持ちがあれば、このような本はたとえ書いたとしても、出版はしなかったと思います。

 私も、長い間物書きを続けており、本を書くということで、自分の存在意義を見つめるという少年Aの気持ちはよく分かります。書くこと、出版することにより、社会での自分の位置づけを知り、存在を認めてもらいたいという気持ちは、正直、私にもあります。しかし、出版により、自分が以前にひどく傷つけた人をさらに傷つけるということが許されるというものでもありません。出版社が、商業目的で少年Aに出版を薦め、それに少年Aが乗ったのだと思いますが、少年Aおよび出版社は大きな間違いを犯していると言わざるを得ません。初版10万部にさらに5万部の増刷がかかったということで、世間の関心の強さは分かりますが、被害者の遺族の方の心情を考えれば、出版はされるべきではなかったでしょう。

 少年Aは、もっと違った方法で自身の生きる存在意義を確認するべきだったのです。例えば、困った人を助ける、仕事に打ち込むなど、自身の存在意義を確認する方法は、出版以外にもあったはずで、出版でしか自身の存在意義を見つけられないというのは、本人と出版社の言い訳にしか過ぎないと私には思えます。

 もちろん、事件後、法的に必要な対応が取られ、十分に更生しているのであれば、少年Aは一人の人間として、今後も生きていく権利があります。しかし、だからと言って、自分の「存在意義」を確認するために出版という手段を選ぶというのとは違うことだと思います。今回の『絶歌』出版に関して、社会の中で自分が生きるということ、自分の存在意義を明確にすることについて、物書きのひとりとしてとても複雑な気持ちになりました。